39番札所・金剛山医徳院を参拝後も細い路地を移動です。
次の番外札所・寂静山西方寺へ行く途中に『帝井』という井戸があります。
延元3年(1338)義良親王(後村上天皇)が、東国へ航行中、台風のため篠島に漂着、7日間滞在され、その時掘られた井戸が「帝の井」として今日に伝えられている。この井戸ができるまでは塩分を含んだ井戸しかなかったが、海水の影響の無い真水は島民の喉をうるおしたらしく、愛知用水が完成するまで使われたそうだ。
墓地の中を通って西方寺に到着。
京都知恩院の直末寺で、永正9年(1512)11月19日伊勢神宮火災の際、伊勢神宮の鬼門にあたる篠島の地に「火度見善光寺如来」を安置すれば後世難を逃れると宮中から知恩院に命が下り、永正13年(1516)に西方寺が建立されたといわれているそうです。お寺?のネコ
お寺の屋根から「にゃお~。にゃお~。」と鳴きながら降りてきました。
大師堂
ネコさんと遊んでばかりもいられないので、38番札所・龍門山正法禅寺へ向けて出発だ~。
ネコさん、さよなら!
知多四国めぐり~その7 (3)に続く
0 件のコメント:
コメントを投稿