徳川将軍家のご先祖松平家の発祥の地、松平郷に行ってきました。
松平郷は豊田市郊外の山中にあります。
豊田市松平町は徳川家康の祖である松平氏の発祥の地とされています。松平氏に深く関わる遺跡が数多くあり、「松平氏館跡」「松平城跡」「大給城跡」「高月院」の4ヶ所は、「松平氏遺跡」として国の史跡指定を受けています。
松平東照宮は松平宗家である松平太郎左衛門家の館跡(松平氏館跡)に建てられています。
もともと八幡宮が松平家の屋敷神として祀られていたそうですが、大正の初めに松平太郎左衛門家が住まなくなってから、屋敷の跡に神社を建てたようです。
松平郷には7つの井戸があったらしいです。
この上に奥の院(屋敷神の八幡宮)と産湯の井戸があります。
松平家は代々この井戸の水を産湯に用いており、岡崎城で家康が生まれた際、松平太郎左衛門家7代当主・親長がこの井戸の水を竹筒に詰めて速馬で運び、産湯に用いたという記録が残っているそうです。
この葉を三つ合わせたものが徳川家の「三つ葉葵」になったといわれているようです。
この日は陽気が良かったため、競い合って鳴いていました。
松平家の菩提寺である「高月院」へは松平郷園地を通りました。
松平郷園地は花盛りでした。
ヒュウガミズキの花は3輪ぐらいで小さい。またトサミズキの葯は赤く、ヒュウガミズキは黄色いので、すぐ見分けられる。
トサミズキの花は7、8輪連なる。
天下茶屋の前で咲いていました。
後に松平親氏(松平氏のご先祖さん)となる徳阿弥が高月院を訪れる際に、あやめに見とれて、一息入れている時、水女姫が井戸の水に一輪の花を添えて差し出したという伝説が残る。
7つの井戸の一つだが、埋まってしまい再現したもの。
高月院へと続いています。
塀沿いには草花が植えられていました。
室町塀沿いにあった花の一つ。
室町塀沿いにあった花の一つ。
室町塀に沿って歩くと、松平氏の菩提寺「高月院」にたどり着きます。
山門や本堂は、1641 年に徳川家光によって寄進されたものといわれています。
石垣が城を思わせます。
山の斜面に建っているため、自然とこんな感じになったのでしょう。
樹齢はおよそ400年、高さ約8メートル、根回りは4メートル。松平次郎三郎元信(後の徳川家康公)お手植えといわれています。
中門
毎日、朝6 時15 分の梵鐘から始まる朝勤行が行われています。
本堂に入ると木魚と座布団がずらっと並んでいました。
今年は徳川家康が元和2年(1616)に亡くなってから400回忌の年ということで、ここでも法要が行われるようです。
松平親氏、二代泰親、四代親忠夫夫人の宝篋印塔三基が祀られています。
松は枯れたのかありませんでしたが、石碑が寂しく残っています。
松平親氏が後に松平氏・徳川氏の始祖とされ、徳川宗家・松平太郎左衛門家(松平郷松平家)の初代として扱われるようになる。
桜も見頃で、いい気分で一日を過ごせました。
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